Anto Moccosashi
安島モッコ刺し

「安島モッコ刺し」とは
北前船が運んできた安島の海女文化
安島(福井県坂井市三国町)には昔、
海女が仕事の合間に作業着の補強や保温用に施した
「刺し子」の歴史があり
女性が自分の着物に刺し子をしたものを
「モッコ」と呼んでいたが戦後は絶えていた。
「モッコ刺し」とは、昔安島で行われていた刺し子で、
「モッコ」というのは安島独特の表現です。
刺し子の発祥の地は定かではありませんが、
東北の日本三大刺し子をはじめ全国各地で刺し子はみられます。
一般的に江戸時代、
防寒対策と補強のための庶民の知恵から生まれたのが、
各地の「刺し子」の始まりと言われています。
日本で鉄道が敷設される以前は、海路が主な流通の道でした。
全国各地の人や物・技術が、海路により伝わり進歩もしました。
三国は北前船の寄港地で、
安島の男衆もその多くが北前船の船乗りであったので、
他国の影響を受けていたとしてもおかしくありません。
そうして安島の刺し子も同様に、
影響を受けたり与えたりしながら発展し、
海女文化の土壌の中で「モッコ」として確立したのです。
海女達が漁や仕事の合間に刺していた「モッコ」の特徴は、
日本一ともいえるその極めて細かい針目にあり、
あまりに緻密な縫い目がミミズ腫れの様になる事にあります。
安島では嫁に来る際に、
モッコを二枚持参しないといけなかったり、
モッコを着ないで働くのは安島の女性の恥と思われたりもしたそうです。
昔の安島の女性にとって、
モッコは、
単純に防寒や補強という実用面だけではすまされない、
アイデンティティに等しい文化的な存在でもあったのです。
又、一針一針、
気の遠くなるような時間をかけて刺す手間には、
船に乗って遠くで仕事をする者を案ずる想い、
物を大切にする想い、
自然を崇拝する想いが込められていたのではないでしょうか。
その強い想いが幾重にも重なり、
機械では表現できないような美しい形となり、
布は命を吹き込まれたようにみえます。
刺し手にも悦びがうまれたのではないでしょうか。
そして今、
効率ばかりを追い求める現代。
あえて手間をかけ想いを重ねるこの「モッコ刺し」という存在が、
その先の未来にどのような文様を描くのか…
非常に楽しみです。
大湊神社 宮司 松村典尚
《2025/9/8》


